がるろぐ

アラサーにして発達障害(ADHD・ASD)と診断された女の生き様をここに記す。

わたしのトラウマと毒母なりの思い

ひっさしぶりの投稿になってしまいました_(:3」∠)_

 

現在毎日パソコンを立ち上げる環境にないので、なかなか更新するかー!ともならず…(言い訳

 

そんなわけで、やっと重い腰を上げてスマホ投稿用のアプリをダウンロードした次第です。

 

ただ フリック入力だとまどろっこしいぃぃ!!

正確性を求めなければ、パソコンのタイピング速度が10分1100字程度なので、やっぱりパソコンの方が頭に浮かんだことを即文章にできていいなぁ…と…。

 

でも 面倒くさいが勝ってブログを廃墟にするより、とにかく続けることを最優先で行こうと思います乁( ˙ω˙ )厂

 

 

f:id:garugarunyaaan:20180228111337j:image

 

 

前置きが長くなりました。

 

タイトルの通り、わたしのトラウマと毒母なりの思い の話です。

 

 

昨日 母と真面目な話をしました。

昨日だけではなく、わたしが診断を受け、同棲生活に疲れ果て、地元に戻ってきてからは、母とは何度も何度も話をしました。

 

 

過去両親にされてつらかったこと

 

母は「自分は変わった、今のわたしは前のわたしとは違う」と言っているし、そう感じることもあるけれど、やはりどこか信じきれない自分がいること

 

生活の基盤を実家に頼っており、金銭面の援助を受けていることに申し訳なさ、肩身の狭さを感じていること

 

 

そして昨日は

 

その実家に負担をかけている申し訳なさから、「何でもいいからお金を稼がなきゃ」という焦りを生んでいること。

 

その結果「趣味で気晴らし」だったはずのハンドメイドが、「仕事」になってしまった。

 

今のわたしは「仕事」ができるメンタルの状態ではなく、「仕事=やらねばないこと」であり、段々とハンドメイドをしたいのに作れなくなってきてしまったことを話しました。

 

 

それに対し母は

 

あなたの今の仕事は、まず体や心を癒すこと。

 

体を壊しているのだから、お金の心配をしたり、申し訳なさを感じる必要性は全くないこと。

 

だから 仕事をしなきゃ、売らなきゃ…と思いながらハンドメイドをするのではなくて、とにかく好きに、自由に楽しく作る。

 

作ったものが溜まってしまっても気にしない。

体調が安定している時に販売のための作業をして、そこで初めて少しだけ仕事として意識したらいいんだよ。

 

今は楽しいことはできるんだから、楽しいことを楽しんで心の栄養にして欲しい。

 

 

と話してくれました。

毎回こういう真面目な話になると号泣パターンなわたしですが、もれなく号泣。

 

ただ それは母の優しさに感涙した…という単純なものではなくて。

そう言ってくれてもなお、まだ母のことを信頼できない悲しさも混ざっています。

 

過去の「母の中の理想の母親像」を語りながら、真逆の行動をしていた母。

過去にSOSを出しても向き合ってもらえなかった時の絶望感が頭をチラつく。

 

そんな感情も溢れ、混沌とした涙になります。

ただ 今のわたしは、過去とは違い、母を信じたいという気持ちが根底にあります。

 

だからこそガッカリしたり、イライラしたり、悲しくなることもあります。

でも 「この人に何言っても無駄」と思いながら接するのとは、また違ったガッカリであったり、イライラであるのかな…と思っています。

 

 

 

そして!

昨日のハンドメイドの話をしたあとから、憑き物がとれたようにまたアクセサリーが作れるようになりました(∩ˊ꒳​ˋ∩)・*

 

売れるかどうかじゃなく。

こんなのあったら便利かも!や、こういうの可愛くて好き!と、自分の好きなものを作りたいなと思いました。

 

その「好きなものを作る」ことが、これからわたしの作風になっていくんだ…という気づきもありました。

 

 

そして 気乗りしなければしなくていい。

ただ 怠惰にならないよう、じゃあかわりに今日はどう過ごそうか?といったふうに、臨機応変に過ごして行こうと思いました。

 

まずは心身の安定から。

無理せず、けれど怠惰でなく。

 

ADHDピーポーの人生の課題だ\( 'ω')/